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アリューシャン列島の地震の津波の影響は!? [ニュース]

アリューシャン列島地震の津波で、159人の死者、
灯台は木っ端みじんに!!


1946年4月1日のことですが、過去にも、アラスカのアリューシャン列島の沖が震源となった地震がありました。
現在2016年ですから、もう40年以上も前のことです。
このアリューシャン列島の地震の強さは、マグニチュード8.1。この時、津波も発生しました。


津波は、地震の発生から48分も後にウニマク島という島へ到達しました。
この灯台は、1940年にScotch Cap灯台と名付けられ建設されました。
そして、この海域を通過する船乗りの灯火となって、海の安全を見守っていました。

toudai2.jpg

灯台は、約100フィート(30m)の高さで、鉄筋コンクリート造りでした。
その灯台をアリューシャン列島地震の津波が直撃しました。

灯台に到達した時は、地震の津波はおよそ、35メートル位の波の高さの津波だったようです。



ウニマク島の建物は、軽微な損傷ですんだのですが、島の灯台は粉々に破壊されました。
地震で発生した津波で、灯台は木っ端みじんに破壊されました。
そして、この時灯台にいた5人の職員の命を奪いました。

アリューシャン列島大地震の津波が襲った後のScotch Cap灯台は、基礎部を除き、灯台のほとんどの部分が失われてしまいました。

toudai1.jpg

また、このアリューシャン列島地震では、他にも数多くの死者が出ました。


地震発生から約5時間後,アリューシャン列島地震の津波は、ハワイ諸島を襲いました。
ハワイ全島での津波による犠牲者は159人でした。

まず、ハワイ島北東部のLaupahoehoeに、5~10mの津波が来襲しました。
このときは、海岸に建てられていた学校の生徒・教師24人が亡くなりました。


結局、アリューシャン列島地震の津波被害は、159命の命を奪いました。
そして、金銭的には、26百万ドルの損失を引き起こしました。



また、このアリューシャン列島の地震津波は、カリフォルニア州でも1人の死亡者を出しました。
1946年に起こった、このアリューシャン列島地震と津波による死者は最後は、165名以上であったと報告されています。


このとき、もしかしたら、ハワイ島の人たちは、津波がどのように襲ってくるのか、よくわかっていなかったのかもしれません。
地震の発生から津波到達までに5時間も時差があったのに・・・逃げられなかったのです。


当時の灯台の破壊の様子などは、写真を見るとわかります。
鉄筋コンクリートの灯台が、地震後の津波で破壊された後は、基礎部分しか残っていません。

そのアリューシャン列島地震の津波の破壊力は、まるで日本の3.11の震災とそっくりだと感じるのは、私だけでしょうか。
(現在、この場所にはグラウンドが広がり、太平洋を望む丘に犠牲者の名を刻んだ石碑が建てられています)

結論としては、やはり、津波は甘く見てはいけません。
35メートルもの津波が到達し、灯台は木っ端みじん!
1946年のアリューシャン列島地震の津波、想像以上に甚大な被害だった。




ハワイへ津波が到達した時の詳細の写真はココ!!
上から順に、時間が経過していきます。

クリックで拡大されます↓
hawai.jpg





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